ベジタリアン・サイクリスト

カロリー消費の非常に激しいスポーツ自転車。ベジタリアンの私が、スポーティで健康なライフスタイルを実践します。

食べるのも自由。食べないのも自由。

そのように、少食をすることが出来ると、
実は、この現代社会でかなりマイティな力を持つことができるということに気づきました。


なぜなら、食事をしなくてはならない、という恐怖心がなくなるからです。


この脅迫観念から抜けるだけで、
どれだけ多くの自由を持つことができるか、
それは、やってみないと本当にわからないんだよなぁ。



食べるのも自由。
食べないのも自由。
まずは食べるか食べないのかを選択する自由がうまれます。

そして、時間がとても自由に使えるようになります。
昼の時間というのは、社会全体が昼食のためにとってある時間でして、
何か、やりたいことがあったら、その昼食の時間を自由に使うことができてしまうのが
我々、少食が可能になっている人間で、これは、本当にあらゆることに有利なのです。
1日を、食事の時間で区切る必要がなく、完全に自由に計画を立てることが可能です。

そして、体にいいものしか食べていないのに、
お金が減りません。

食べないのに、ひもじい思いをしないというところも、
このマイティさの一部だと感じております。
私は、もし、仕事がなくなって、
食事をするお金すらなくなってしまったとしても、
半年ぐらいなら問題なく、例えば、玄米だけを少量食べて、
楽に生きて行くことができると、確信できます。

その自由さ、と言ったらない。
職を失う恐怖すらないのですから。笑

まあ、少々のお金が入ってこなくなることなんてありえない。
という前提の上ではあるんですけどね。
なぜなら、人とのつながりがたくさんあるわけですから。






そんなことを考えながら、
ヘルマン・ヘッセの小説「シッダールタ」で
主人公が、
「私は、何も持っていないが、恐れるものが何もない。
なぜなら断食ができるからだ。私は待つことができる。」

というようなことを言っていたのを思い出しました。

その時は、持っているものが断食の能力だけしかなくて、なぜそこまでマイティなのか
(まさに、彼はマイティだったのです)、
本当に意味を理解することができなかったのですが、

今は、「これは本当だ。」
はっきりと理解するようになりました。
私は断食ではなくて少食ですが、
少食ですでにかなりマイティなのです。

添加物はマジで摂らない。

そのように、ある時期の小食生活が非常によく作用した私でした。

前回書いたのは、その生活によって、
人が採るべき必要最低限の栄養というのは、実は想像しているよりも圧倒的に少ない、という実感。
もっと言えば、「人は食わなくても全然死なない」、という確信がつき、
食わなければならない、という強迫観念から解放されたことが、私にとっては宝でした。



その極端な小食生活。
1日2食で一回に玄米お茶碗一杯と、味噌汁を食べる。
というところから、だんだんに品目と量を増やしていったわけですが、

まず、それをするのに、私は、すべて有機栽培のものだけを使ってやっていました。


フランスでは日本よりもより簡単に、そして比較的安く有機栽培のものが手に入りますが、
それでも、有機栽培のものは、普通のものに比べて、2・3倍の値段はします。


実は、極端な少食のもう一つの素晴らしい面はそこで、
食べるものがあまりに少ないので、
食費が異常なほどかからない。
有機栽培のものだけを食べても、
金が減らなくて減らなくてしょうがないのです。笑



そこで、もう一つ、私は重大なことに気づきました。


食べるものは少なくても問題ないが、
科学薬品、食品添加物は、考えているよりずっと人間の心と体の両方を害している。


ということです。


これは、絶頂でい続けて生きるために、すごく重要なことに思えてなりません。




これに気づくのがとても難しいのは、
食品添加物を一切摂らないで生活することがかなり困難な社会に我々が生きているからです。


例えば、一念発起して、家庭で食べるご飯を有機栽培のものに変えたとして、
それだけでは、おそらく、その変化に気づくことはできないでしょう。
それ以外の、添加物が、脳神経と(心)体に作用し続けているからです。

それに完全に断つためには家庭だけではなく、
外出中も含めてになるので、それはなかなか一般的な社会生活を送りながらは
できるものではないかもしれません。



でもね、どうにかして、
ほんの5日間でも、一切の食品添加物を摂らないで、
有機栽培のものだけを食べて生活をするなら、
もう3日目には絶対気づくんです。
その頭のクリアーさと元気いっぱいさが、普通じゃないですから。



そうすると、私のような性格の人間には、
もう絶対有機栽培のみの生活がやめられないのです。


私は、その2012年から、少なくとも3年間は、
完全に一切、食品添加物の入ったものを食べませんでした。


外出するときには、ちょっとした食べ物を持って出て、
良いものを食べるチャンスがないような場合は、食事を抜いたりしてやっていたのです。



今でこそ、少しおおらかになっております。
例えば、外出中ごく稀に、どうしても何もない場合に、
有機栽培ではない、お茶などを自分に許してしまうようなことはありますが、
基本的には、ずっと有機栽培のものだけの生活を続けております。



完全無欠な、絶頂維持の生活方法の
まず、私が基本に据えているのは、そこです。


食品添加物はマジで、摂らない。

第一の関門「立ちくらみ」の正体

というわけで、176cmの私が、
2012年3月頃に、やむなしの少食療法によって、
76kgから63kgまで痩せて、

一時期、58kgまでは落ちたものの、
紆余曲折を経て、現在(今朝)61kg。


げっそりと痩せ、筋肉もごっそりと落ちてしまった2012年の63kg私から、
自転車でしっかりと鍛え、細く柔軟な筋肉をしっかりつけ、そして全くげっそり感のない、
今の私の61kg。
全く身体は不思議なもので、ちゃんとその体重に合わせて、最適化を図ってくれるのだ、
というのが前回の結論でした。


ただ、いくら経験者がこのように語っても、
少食をするには、少なからず恐怖が伴い、
そんなことは無理であると思ってしまうものではないでしょうか。

私も、必要に迫られなければ、絶対にしなかったことだと思います。



にも関わらず、ある日、誰かが一念発起して
少食に挑戦してみるとします。

すると、必ず起こることがあり、
普通は、やはり駄目だと思い、やめてしまうハズなのです。


それは立ちくらみです。


突然少食にすると、まず、体が血圧を調整する方法がわからなくなってしまうそうです。
すると、慣れた血圧ではなくなるために、必ず数日間は立ちくらみを起こします。


それで、たいていの場合はやはり食事をしないとクラクラする。
つまりは、エネルギーが足りないと思い、
イコール、少食は良くないという結論に至るのではないでしょうか。


ただ、それは説明しましたように、単に血圧の一時的な不安定によるもので、
実は3日もすれば収まってしまいます。そして1週間も続ければ、完全に安定した血圧の状態に戻る。
体が勝手に調節してくれるんですね。



そうして、やってみると、私が体験したように、
今まで溜まっていた毒から解放されるのでしょう。
頭が非常にすっきりして、
(私の場合はかなりげっそり痩せていたにも関わらず)
圧倒的に疲れにくくなる自分がいるんですよね。


そうして、しばらく半年もそれを続け、
断続的に数日間の断食などもやってみて、
私の中に、強い確信が育ってきたのは、

「なんだ、人は食わなくても生きていけるんじゃないか」

ということです。
食べなくてはいけない、食べなくては死ぬと教えられ、
実は、多くの現代人が、強迫観念によって、食を摂り続けているのではないかと、
私には感じられるようになりました。

1日30品目なんて厚生労働省が言うのも、
まあ、まずデタラメですよね。
だって、最初の数ヶ月は、玄米と味噌汁だけを食べていて、
私は、今までよりも数倍元気だったわけですから。


必要不可欠な栄養はまず、普通に考えられているよりもずっと少ないということは確かだと思われます。


それを確信できるだけでも、ある一時期の少食生活というのは、
大変有意義であるという気がしてなりません。



もちろん現在では私は、割に普通の量、
多分、日本の食の細い小柄な女性ぐらいの量は食べていると思いますが、
5年間の自分の体による人体実験で、
どの種類のものを食べるべきで、食べないべきなのかというは、
自分にとってだけのレシピではありますが、
大分確立されてきました。


それは、絶頂状態を維持する目的で取捨選択され、
何かを食べた結果、絶頂ではなくなった場合に、
その種のものを食べなくする。
という形で選択されてきました。


そのあたりの経過も少しずつ書いていこうと思います。

身体の最適化(自動)

その一番痩せてしまい、ちょうど余分な筋肉が全部落ちてしまった頃に、
偶然にもスポーツ自転車をやってみようという気持ちになり、

例の「鉄の塊フィクシー」を買ったわけです。


それは、一からの筋肉の作り直しになりまして、
私は、できるだけ大きな力を使わず、
柔らかく筋肉を使うようにと、
いろいろな方の語るペダリングテクニックを参考にしながら
練習を繰り返しました。



そのおかげもあったのでしょう、
60kg以下で落ち着いていた体重が
筋肉が少しつき、
60kgから61kgぐらいまでは戻りました。

自転車を始めたことによって、
短い距離の通勤中に練習を兼ねていただけで、
週2回8キロの往復、週三回5キロの往復なので、週に46kmだけのことだったわけですが、
とはいえ、ゆったりと柔らかく筋肉を使う練習には十分で、
それなりに運動量にもなりますから、それに合わせて食事の量もある程度はとっても
体調をおかしくすることはなくなっていきました。

まさに完全無欠のバランスを少食+軽い自転車の練習で手に入れたわけです。




後日談と言いますか、
そこからも、3年以上、60kgから61kgの体重をキープしていましたが、
娘たちが多少なりと子大きくなり、一人で外出するようなことも可能になった1年前、
ロードバイクを購入して、長くて2時間ほど、60kmのライドなどを始めるようになったのですが、

それからはやはりさらに筋量が増えたのでしょう。
現在は、62kgから63kgの体重で安定しております。


不思議なのは、一番最初、5年前に少食療法によって一気に体重が落ちて
誰もが心配するほどに、げっそり痩せたあの頃の体重が76kgから63kgまでだったわけですが、
5年後の今、それよりも少し軽いぐらいの62kgで、ちょうどいい感じの筋肉質、
細身の体に、顔もげっそり感は全くなく、健康で普通の顔をしているのです。

いろいろな意味で、この体重の範囲内で、体が最適化をしてくれたのですかね。
ほんと、人体って不思議です。


あ、それと、そのようにスポーツ自転車で少しずつ運動量が増えていき、
それに合わせて食事の量もだんだんに普通になってきて、
最初の頃の、玄米を小さい茶碗に一杯から、
今では、小さい茶碗だったら、ついつい3、4杯はお代わりしてしまう。
それほどおおらかになってきております。



次回には、このようにして遍歴してきた中で、
最初の、玄米、味噌汁のみの食生活から、
だんだんに別の食品も食べ始め、最終的に今のベジタリアンに至るまでのことを書いてみようと思います。

18kgの減量

ダイエットって多くの人が興味があると思いますが、


実は人は、食べなければあっという間に体重が減るんですね。



私は、身長176cmで、もともと割と筋肉質な方でした。
中高生の頃には、力が強いことが男子の間ではステータスだったこともあり、
腕力自慢でもあった私は、空手をかじってみたり筋力トレーニングもよく行っていました。

その名残りなのでしょう、私は、30代後半になっても、ずっと固い筋肉がいつもあって、
割と筋肉質な方で、体重は20代、30代を通して、いつも72kg程度だったと思います。
というのも、あまり体重を測ったりする習慣がなかったので、よく知らなかったのですけどね。

アレルギーによって免疫力が落ち出して、よく風邪をひいていたころに
たまたま友人宅に体重計があったので、測った時に76kgもあり、
おお、太ってるなぁ、俺。なんて思ったのを覚えております。


そんな私が、前回書いたように、大変なアレルギー症状に見舞われて、
少食療法を試し、それが非常にうまくいき、
ほとんどほどなくして回復していったわけですが、

最初の3ヶ月ほどで、すでに63kgまでは体重が落ちてしまいました。


13kg減量って言うのは、やはり結構すごいもので、
その頃は、顔がかなりげっそりと細く、体もぺろぺろに薄くなってしまい、
周りの者に大いに心配されたものでした。笑


私としては、前回書きましたように、すこぶる体調も良く、
それだけでなく、頭脳も圧倒的に明晰になり、集中力も良く続くので、
これで最高なんだってみんなに言うのですけど、
いかんせん、見かけがげっそりと痩せているので、
みんな一様に心配したものでした。



そんな心配され続けた少食生活でしたが、
私としては、あまりに体調が良く、
しかも少し油断して多めに食べると
明らかに、集中力が切れやすく、体調が崩れてくるので、
少食をやめる気がしなかった。
むしろあの頃は、少食にしがみついて、自分のパフォーマンスを上げていました。




そうこうするうちに、もう半年もしたら、
一番軽いときで58kgまで痩せてしまったんですよね。
一番重かった時から18kgの減量で、さすがにマジでガリガリでしたよ。

でも、面白いことに、それ以上はいくら少食をしても落ちませんでした。



少食をして、もう一つ興味深かったことは、
筋肉もあからさまに落ちてしまったことです。
ある程度体を鍛えていて、筋肉自慢であった時もあった私が、
中年になって、運動をしていなくても、常に一定の分厚い筋肉が
特に胸の周りなどにしっかりとついていたのですが、
そんなものがごそっとなくなってしまったんです。


これがまた私にとっては本当にラッキーなことに感じられました。


余分な筋肉が落ちてしまったおかげで、
体の柔軟性が大いに増したんです。
前屈や足回りというのはもともとそれほど硬くはありませんでしたが、
体幹や腕周りが余分な筋肉に覆われている時には、
一つの塊のようにゴチゴチしていたのですが、
それから解放されると、
背骨を中心に体全体がよくしなるように動くようになりました。

これも私にとっては爽快そのものでした。

何か、古くからの業から解放されたかのような気持ちがしたものです。