食べるのも自由。食べないのも自由。

そのように、少食をすることが出来ると、
実は、この現代社会でかなりマイティな力を持つことができるということに気づきました。


なぜなら、食事をしなくてはならない、という恐怖心がなくなるからです。


この脅迫観念から抜けるだけで、
どれだけ多くの自由を持つことができるか、
それは、やってみないと本当にわからないんだよなぁ。



食べるのも自由。
食べないのも自由。
まずは食べるか食べないのかを選択する自由がうまれます。

そして、時間がとても自由に使えるようになります。
昼の時間というのは、社会全体が昼食のためにとってある時間でして、
何か、やりたいことがあったら、その昼食の時間を自由に使うことができてしまうのが
我々、少食が可能になっている人間で、これは、本当にあらゆることに有利なのです。
1日を、食事の時間で区切る必要がなく、完全に自由に計画を立てることが可能です。

そして、体にいいものしか食べていないのに、
お金が減りません。

食べないのに、ひもじい思いをしないというところも、
このマイティさの一部だと感じております。
私は、もし、仕事がなくなって、
食事をするお金すらなくなってしまったとしても、
半年ぐらいなら問題なく、例えば、玄米だけを少量食べて、
楽に生きて行くことができると、確信できます。

その自由さ、と言ったらない。
職を失う恐怖すらないのですから。笑

まあ、少々のお金が入ってこなくなることなんてありえない。
という前提の上ではあるんですけどね。
なぜなら、人とのつながりがたくさんあるわけですから。






そんなことを考えながら、
ヘルマン・ヘッセの小説「シッダールタ」で
主人公が、
「私は、何も持っていないが、恐れるものが何もない。
なぜなら断食ができるからだ。私は待つことができる。」

というようなことを言っていたのを思い出しました。

その時は、持っているものが断食の能力だけしかなくて、なぜそこまでマイティなのか
(まさに、彼はマイティだったのです)、
本当に意味を理解することができなかったのですが、

今は、「これは本当だ。」
はっきりと理解するようになりました。
私は断食ではなくて少食ですが、
少食ですでにかなりマイティなのです。

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